野球部 夏の歴史(3)

○夏の歴史(3) 平成4年~27年

 

 平成に入り県内の勢力分布図は大きく変わっていきました。元年に近大福山高校が甲子園に出場すると、山陽高校、西条農業高校、宮島工業高校、如水館高校が続くように初出場を決めていきました。

 

 本校は昭和末期から監督の入れ替えが続きチームが混迷していきました。交代とともに部員が減少し、1、2回戦敗戦も続きました。そこで部の立て直しを託されたのが田中正信先生でした。平成2年から10年間監督を務められました。

 「野球経験がない中で監督になったけど、生徒とともに打ち込めた時代でした」

 エネルギー溢れる生徒が多いなか、挨拶や礼儀などの指導を徹底され、現在の部の礎になっています。

 

 平成12年、17年にベスト8、18年にベスト16。そして昨年の34年ぶりのベスト4の快進撃は記憶に新しいところです。

 

 なお平成14年に卒業された板垣幸司さんは、広島工業大学に進学された後、ボクサーとなり中国地区チャンピオンになりました。卒業後はプロに転向され、現在も活躍されていて世界戦にも挑戦しています(日本ライトフライ級4位)。OBの活躍は励みになりますね。

 

平成4年。グレーを基調としたユニフォーム。のちに「工大附工」から「Kohdai」に変わります。

平成17年。部の歴史はユニフォームの歴史でもあります。

 

今年も新たな歴史を刻みたいものです。

 

(石田)