誰もいない教室で -学級、クラスという自明性- 地歴公民科

私は今、誰も来なくなった教室(classroom)で仕事をしています。
平日にはクラスに生徒たちが来るという、その自明性が根本から問われる
まさにそんな思いです。

今では学校において自明のものとなっている「学級」の概念。
以前大学の教科書執筆にかかわったときに調べたことがあるのですが、日本に学級の概念が初めて導入されたのは1891(明治24)年の「学級編制等ニ関スル規則」によってでした。ここで学級とは、英語のclassの訳語として考案された語であったようですが、現在日本語で「学級」といったとき、classと完全に対応する概念ではないようです。すなわち、英語のclassは授業、さらには等級といった意味をもちますが、日本語の「学級」にはそうした意味は希薄であり、むしろ授業を受ける集団、単位という狭い意味で定着しています。
他方、カタカナで「クラス」というと、やはり「授業」というような意味は薄く、授業を受ける単位(=学級)、あるいはその場所(教室)を指しているように思います。
このあたりの事情は、日本の教育制度の成立史と大きくかかわっているようです。

さて、日本における学級制度が現在のような形で定着するには、1891年「学級ニ関スル規則」発布以後も厳密には少し時間を要し、1900(明治33)年の第三次小学校令になって学年(grade)ごとに学級(class)が組織されるという現在の形態が一般化したようですが、それでも実に120年間、一つのclassroomに学級(class)の子どもたちが集まって授業を受けるという今の「自明」な形が綿々と続けられてきたことになります。

その間、120年に及ぶこの「学級における集団授業」という、ある意味で「自明」な姿が、これほどまでに大規模な中断を迎えたのは、太平洋戦争末期の「決戦教育要綱」及び「戦時教育令」以来のことではなかろうかと思います。これは、学徒隊の結成等の事情を背景にもった授業中断でした。

それほど、歴史的な場面に我々は直面してしまっているわけで、人類の無力さを痛感させられるわけですが、一方で私は、今回の休校が、前回の授業中断とは異なり、子どもたちを戦場に送り出すための措置ではなく、子どもたちを含め社会、人類を守るための措置であるという事実に、一つの光明を見出さざるをえません。

今、生徒たちは、自宅で、オンライン等も活用しながら、勉強を頑張っていることでしょう。我々は、自明性に安住することなく、どうしたら学びを深められるのか、考え続けないといけないのかもしれません。

以上、現在の教室を眺めた、とりとめのない感想です。

明けない夜はない- The night is long that never finds the day!

(嶋﨑)